三谷神楽団

塵輪
塵輪
献舞
献舞

概要

社中名 三谷神楽団
所在地 邑智郡川本町内
代表者名 山下 光雄
代表者住所 川本町大字湯谷
発足時期 明治初期1870年頃 団員数 11

沿革

時期 活動内容
明治の頃

 明治初年迄は神官神楽であったが明治の初め頃より一般の人々も参加するようになった。 その時、八幡宮宮司より神楽を習い湯谷神楽中と称して神官に混じって神楽を奏するようになる、神官は神事舞を、一般の人は採物舞を舞ってきた。 以来、湯谷舞子中は代々の神官を師として受け継ぎ伝えてきた。

 

 明治の初めより湯谷のほとんどの人々が神楽を習得し親より子へ・子より孫へと現在まで相伝されている。  明治五年頃に湯谷舞子中として発足し、有志の計らいにより衣装手道具等衣装が新調されたがこれも手製手作り手書きであった。

昭和の頃

 戦後神楽舞を奏するには、連合国司令部の許可を要するようになった要するようになり、三谷神楽団と名称を変更し演目等台本を作製し、連合国司令部に届け出、許可を得て神楽舞を奏するようになった。

 

 昭和二十年代に入って衣装も華美になり、金糸銀糸を使用した物が出始めた。

 昭和二十八年頃より有志相計り全村的に応分の寄付をお願いし又三谷村よりも補助を得て昭和二十九年秋、昔の型をそのままに近代的な神楽衣装を新調した。

代表者あいさつ

 私たちにとって、かけがえのない、郷土芸能である大元神楽その魅力を多くの方々に伝え、神楽の伝承・保存・発展ならびに地域の振興にもつながる事を、願って受け継いで34~35年になります。


 最初のうちは団員も23~25人と多く、活気にあふれていましたが色々な事情が重なりだんだん少なくなり、地域性もあるのか若者のUターン等での入団者もなく、現在に至っております。


 現在は団員数も少なく、いつまで続くか不安もありますが、昔のままの形で次世代へ、伝承するべく若い者と一緒に練習に励んでいます。

得意演目

四方堅、潮祓天の岩戸神武天神献舞御座塵輪鐘馗蛭子